廊下がないので小さな土地でも広々とした家に
最初のプランが上がってきたときに、この狭いこの場所でよくこんな風に間取りを考えられたなぁと思って。
狭い土地なんですけど、最大限に広く使えているなってのはあります。
前の家のように廊下があると場所取られちゃうし、部屋が小刻みに刻まれる。全部が分断されているのですごく使い勝手が悪くて。それでよけいに間取りについて考えるようになった。
家のどこにいても家族の気配がわかるので安心
前の家では、向こうで何かしてても、全然そこまでいかないとかわからなかった。
向こうで「お母さん~」って聞こえて「何か呼んでるな」って行くみたいな。
子供が二人いるんですけれども、今の家は家のどこにいてもわりと気配がわかるので「あっ寝てるな」とか「なんかゴソゴソやってるな」みたいな感じの気配がわかる。当然子供たちも下にいる私の気配がわかると思います。
なんとなく安心できるというのはあると思いますが、逆にわかりすぎちゃって大人どうしの内緒話はできないので。(笑)
玄関は、私がキッチンに立って料理作っていても、いつもそこのドアを開けて「ただいま!」って帰って来たらすぐ子供の顔が見えるっていうのはすごい良いなと思って。
やっぱり外で色々あっても、まぁ家に帰ってくるとホッとするっていうか、ココが基本の場所であるってこと。
家事動線が良いので家事にかける時間が少なくなった
家事動線が良いので、家事にかける時間が少なくなった。
台所で色々食事のことをしながらも、すぐそこに洗濯機があって、すぐ反対側にも洗濯物かける場所があって、お風呂場もすぐそこなので、お掃除もしやすい。
リビングのコンセント一つで、1階全部がそれで掃除機が終わっちゃうんですよ。急にお客さんが来たときも、ダーって掃除機かけて「ハイ!」っていう感じ。
段差がほとんどないので、お掃除も楽だし。
そこで、やっぱり母である私が一番機嫌良く楽しくしていたら、子供たちも機嫌良く楽しく居られるというのは基本的にそうだと思います。
いろんなお客さんが集える「いいね!」って言ってくれる家
いろんなお客さんやお友達が来て、家の中でお料理をしたりとか、カフェみたいにお茶したり、プリザーブドフラワーを教える先生がきてみんなで教室をやったりとか。
小さい赤ちゃん連れたお母さんとかも、その子がウロウロしていてもおしゃべりができるとか。
そういうことにもとても便利な家で、みんなが「いいね!」って感じで集える場所。とても明るいでしょ、吹き抜けあるし、風の通りは良いし。
デザイナーズ住宅よりはシンプルで生活自体を楽しめればいい
よく友達とかが「お洒落な」とか「デザイナー何とか」とか、そういうこと言う人とかいるんですけど、うちはそういうのは全く。
生活自体楽しめれば良いっていうか。シンプルで使い勝手がよければそれで良い。
マンションや建売も考えていたが住育の家にしてよかった
アパートにするのか?マンションにするのか?どこかお家探すのか?っていう選択肢の中で、中古の一戸建てを散々見たんですけど、思ったようなところがなくて。新築を見に行ってもなんか窮屈だし。
「どうしようかな?」と思っていたときに新聞の広告で「住育」ってあって、つらつらと書いてあって「あぁ、これは見に行こう!」ってすぐ行ってみて話を聞いたら「コレは良いやん!」って。
たまたま住育との出会いがあってこういう間取りになった。もし広告見てなかったら「ココの中古でしょうがないか、ココにするか。」ってなってたと思います。
家に合わせて暮らすのではなく家族の行動に合わせて家をつくる
以前の家では、間取りが決まっているわけだから、決められたところに持っているモノをいかに使い勝手良く入れるか?っていうことをずっとやってきたわけで。
そうじゃなくって、自分の生活に合わせた考え方っていうのは良いなと思って。それはそうですよね、やっぱり。
他の友達は建売に住んでる人が多くて、その辺りは全然違うなって。モノの位置とか。自分の行動に合わせて何を置くとかそういう話を聞いて「そういう風に考えるんだ」って思って。そういう風にしたらモノが片付くよっていう話。
家づくりが家族の大切なことを考えるきっかけになった
最初に夢マップをいろいろ書いて、ふせんを貼って「住まいでこんな風なことしたい」とか「こんな風なのがあったら良いな」っていうことを洗い出す作業があって。そのときに、「そんなことまであんまり細かく考えたことがなかったな」って。
何を大切に思うかっていう優先順位。「これからこうして行こうね」「こんな風になりたいね」とかそういうことの話をするきっかけがあった。
そういう話ができると、自分自身も見つめ直すことができるから。そういう話をするってこと自体、普通に生活してたらそんなに、日々の目の前の色々に追われてしまって中々ないじゃないですか。
そんなときに「この子こんな風に考えているんだ」とか「私こう思っていたけど、夫はそんな風に考えているんだ」とか、そういうことってなんか照れくさいじゃないですかね。