私は、教師から建築業界に転職してこれまで40年間、女性の目線で、家事・子育て・健康長寿で介護のいらない(介護も楽にできる)間取りを追求した住まいづくりに携わってきました。また、幼少の頃から現在に至るまで、大きな豪邸から小さな借家まで、様々な家で暮らしてきました。
その経験からわかったことは、ほとんどの家が、家事・子育てに不便でお母さんに優しくない家でした。家の間取りが、家族のコミュニケーションや、幸せな暮らしに大きな影響を及ぼすということでした。
幼少〜教師の頃の住まいの体験
私が幼少の頃から高校の頃まで住んでいた家は、お寺の跡の大きな家で、畳の間がいくつもあって、迷路のような家でふすまで遮断されていました。トイレやお風呂が離れにあって、生活導線が不便な、最悪の間取りでした。
私の父は学校の校長先生をやっており、大変厳格な家庭で生まれ育ちました。母親はいつも大きな家と畑の仕事で大忙しで、バタバタして余裕がない様子でした。そんな母を見て「お母さんを助けてあげたい」いつも思っていました。今から振り返ると家族で笑うということがない家庭だったような気がします。
その後、当然のように教師になって 家庭訪問で生徒の家庭を回ったときにも、家族の顔が見えない家があることに気づきました。
建築業界に入ってからの体験
教師が天職だと思っていた私ですが、建築業界で働いていた今は亡き夫が建築会社を立ち上げたのを機に、教師を辞めて夫の会社を手伝うことになりました。そのときに住んでいた家は、毎日の家事、子育てする主婦の私にとって優しくない家でした。そして、建築の現場に出て、夫の建てる家を見る度に、疑問を持つようになりました。
- 洗濯機は1階なのに、干すのは2階って不便!
- 玄関開けたらすぐ横にトイレは嫌だわ!
- 収納が使いたい場所にない!
- 大きな子供部屋はいらないんじゃないの?
- こんな長い廊下や応接間なんていらないのに!
- 子どもが帰ってきても顔が見えない!
夫の建てた家は、住んでる私たちお母さんのことは完全に無視で、男目線でしか考えていないただの箱でした。住む人の立場なんて全然考えていない、というより、主婦の家事がわからなかったのでしょう。
「住育の家」誕生のストーリー
ある時、夫に家の間取りのことで口出ししました。すると、「ド素人は、だまっとけ!!」と手を上げられました。悔しくて、素人の意見を聞いてくれないなら「プロになってやる!」と思いました。
私は三人の子育てをしながら睡眠三時間で、建築・インテリア関係の三つのスクールに通ったり、現場で職人さんたちを師匠に学んだり、北欧や欧米に、福祉の研修・視察に通ったり、猛勉強しました。大学でもあんなに勉強しなかったのに、目標を持ったら凄いチカラが湧いてきました。
学校を卒業してからは、建築現場に積極的に出向き、間取りや独自のアイデアをお客さまに提案していきました。私の主婦目線のアイデアを喜んでいただくお客さまが次第に増えていきました。やっとやっと、夫が「これからお前のこと先生って呼ぶわ」と言ってくれました。
そして、主婦の居間を作りたくて自分の会社「ミセスリビング」を設立しました。順調に!やーっとスタートしました。
ところが、1999年バブル崩壊と共に自社本社ビル・自宅、別荘・何もかも全て失いました。・・・夫までが、いきなり肺がんで他界!!残ったのは14億円の負債と子供たち。本当にドン底になりました!
ドン底で沢山のことを学びました。自分や子どもたちの、住まいの環境の変化での人間関係!!
そして体験により、
- 大きくても淋しい家・・
- 小さくても温かい家。
そのとき、大きな勇気をくれたのは、「大きくなったら助けてあげるからね!」と、ずっと後姿を見て応援し続けてくれた3人の子供たち、特に娘たち2人が、この仕事を助けてくれました。
そして、私をずーっと支え続けてくれたのは、他界した働き者の自慢の母でした。最後の最後まで、認知症になってもたくさんの学びをくれました。
そうした体験から生まれたのが、家族が「ただいま!!」とワクワク帰りたくなる家づくり。お母さんたちが、家事・子育て・健康長寿で介護のいらない(介護も楽にできる)健康で暮らしやすい住まいづくりを追求し、お母ちゃんの視点で完成した家づくりが「住育の家」なのです。
1946年 | 兵庫県出石生まれ |
1966年 | 京都女子大短期大学部初等教育科・国文科・卒業 京都府大山崎町立大山崎小学校 勤務(教師として5年) |
1971年 | 宇津崎建設株式会社 常務取締役 就任 |
1986年 | 株式会社ミセスリビング設立 代表取締役 就任 |
1993年 | 「インテリアの落とし穴」共著出版 |
1996年 | ヒューマンデザインコンペ96受賞 |
1998年 | 社団法人インテリア産業協会功労賞受賞 (有)住まいの総合研究所設立 |
1999年 | 「お母ちゃんの住まい」エコ・検証住宅 (2軒のギャラリーオープン!) Forbes 5月号 日本の女性企業家 掲載 |
2001年 | 『お母ちゃんの住まい誕生』(娘二人と共著) 第9回女性起・企業家国際交流2001年世界大会で発表 |
2002年 | 働く女性の国際交流シンポジウム モスクワ於 「お母ちゃんの視点での住まいづくり」発表 |
2003年 | 内閣府認証 NPO法人「次世代の家と社会をつくる会」理事長就任 京都裁判所調停委員 就任 |
2004年 | 「次世代のための環境健康・教育・文化と伝統」日露フォーラム開催 モンゴル JIGUUR GRAND GROUP 顧問 就任 |
2005年 | 京都市みやこユニバーサルデザイン審議会委員就任 (露)国際環境連合インターナショナルエコロジー賞受賞 |
2006年 | (株) 第5回日露国際フォーラム開催(コンソーシアム京都於) |
2007年 | 京都家庭裁判所家事調停委員就任 「大丈夫だよ お母さん」出版(娘友見と共著) |
2009年 | 「大丈夫だよ お母さん 暮らしを楽しむ!ウイリアム・モリスとファブリック」出版 |
2010年 | 「お母ちゃんの住まい」モンゴル環境省より受勲 |
2011年 | 幸せが舞い降りる「住育の家」出版 |
2015年 | 東京品川駅近 高層マンション18階(1年半検証実験)全国から工務店さん 住育研修講座 |
2018年 | 松田妙子氏と「次世代につなぐ家づくり」住まい談義(東京) |
2019年 | モンゴル国「家族学」権威ナムジル教授来宅 宿泊体験「住育の家」「家族学」合同研究スタート 絆プロジェクト 講演会 「幸せが舞い降りる住育の家」講演会 (モンゴル国セレンゲ県・ボルガン県 於) |
2020年 | 「幸せ家族には秘密がある」出版 |
2021年 | さわやか財団いきがい・助け合いサミットin神奈川 建築分科会 登壇発表 モンゴル国教育100周年記念世界7カ国会議「住育の家」Zoomプレゼン参加 |
2022年 | ロータリーEクラブ米山奨学生カウンセラー委嘱 さわやか財団いきがい・助け合いサミットin東京 建築分科会 登壇予定 |